Water Biology

複雑系としての生命現象の理解は、21世紀の生命科学の発展には欠かせないものと考えている。複雑系の特徴の一つとして、開放系における動的秩序形成が挙げられる。シュレディンガー(1933年ノーベル物理学賞)は、エントロピーの第2法則にあたかも逆らっているかのうようにもみえるこの生物の特徴に対して、苦悩のあげく、「生物は負のエントロピーを食べている」と表現した(「生命とは何か(岩波新書)」)。我々は、「生体においては、水がエントロピーの代償をすることで、動的秩序形成が成り立っているのではないか?すなわち、「生命体における水の役割はエントロピーの処理である」という仮説を立て、生命現象における水分子の役割の解明を目指している。
 我々の身体は、その7割が水分子で構成されているので、生体における水分子動態あるいは動的水構造は、「生体システムの維持と変容」を最もよく反映していると考えられる。
すなわち、水は最も優れたバイオマーカーであるともいえる。実際、医学領域への応用として、MRI(磁気共鳴画像)は癌や炎症に伴う局所の動的水構造の変容を捉えることで、それらの診断を可能にしている。我々は、「Water Biology(水分子の生物学)」という新しい概念を提唱し、複雑系としての生命現象を水分子動態から包括的に理解していくため、以下に述べる三本の柱を軸に研究を推進している。

図2

「Water Biology(水分子の生物学)研究における三本の柱」



  • Water Biology
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  • 水を知る
  • 水を操る
  • 研究支援


  • 図1

水をみる

― 新しい上皮膜輸送科学をめざして ―

生体は、上皮膜組織を介して外界と接し、酸素や二酸化炭素などの気体, 水、イオン、栄養素および老廃物などを外界とやり取りしながら生きています。このように、上皮組織は、「個」としての生体の存在を周囲の環境から区別して明確に定義づけるとともに、個体の生命維持のために必須な物質輸送機能を担っている。そして、これらの膜輸送機能が生命維持に非常に重要であるが故に、これらの輸送機能の障害が原因になって、数多くの重大な疾患が引き起こされることが知られている。
 現在まで、その医学・生理学的重要性から上皮膜輸送現象についての研究は、非常に数多く、そして幅広く行われてきた。しかしながらそれらの研究は、主としてイオンチャネルやトランスポーターなどの“溶質”輸送体の研究が中心的であり、もうひとつの主役である“溶媒”つまり水の輸送については、水の動きを直接的に観測する方法が今までなかったため、その重要性にもかかわらずほとんど解明されていなかった。

現在、当教室では、水分子を標識なしで直接観測することを可能にする顕微鏡を応用して、この問題に取り組んでいる。
 さらに、観測イメージの時系列変化の再構成(シミュレーション)によって、水・脂質輸送の時空間的定量化が可能となる。この手法は、単離細胞・上皮組織はもとより組織工学的に再構成された人工組織などへの適用も可能で、水の輸送・代謝についての数多くの新しい知見が得られることが期待される。
 また、当薬理学教室ではアクアポリンやABC/SLCトランスポータ等の一分子レベルでの構造機能相関や未知の機能の探索およびこれらの輸送体分子間相互作用の膜輸送における役割の解明などの研究を行っており、最終的には、コンピュータシミュレーションによる分子レベルから組織・臓器レベルまでの複雑系としての水・溶質輸送システムの統合的理解、さらにそれに基づいた疾患・病態の解明および治療薬の開発等の医学への応用を目指している。

(1)上皮組織:
CARS(coherent anti-Stokes Raman Scattering)顕微鏡を用いた経上皮水拡散の計測:

我々は、MDCK細胞の3次元シスト(嚢胞)形成モデルを用いて、CARS顕微鏡による細胞膜および経上皮水透過性の測定を行った。CARS顕微鏡は、水分子内のO-H結合が持つ固有振動数に対して光の共鳴散乱現象を起こすことで信号を増幅し、水分子の直接イメージングを行う非線形光学観測技術である。MDCKシストを、CARSシグナルを発生する水H2Oと同じ条件下ではシグナルを発生しない重水D2Oの高速置換時に、CARS顕微鏡で観察することによって、水の経上皮拡散現象の直接観察にはじめて成功した(図)。また、実測データの解析にはコンピューターモデリングを導入し、細胞内あるいは細胞間における水拡散に対する理解を深めている。
図8

(2)脳細胞外空間:
2光子顕微鏡と脳スライス標本を用いた細胞内外における物質拡散の計測:

2光子顕微鏡を用いて、急性脳スライスの上から色素をパルス投与することで、その分布と拡散速度を各部位において解析している。これを細胞形態(SR101: アストロサイト・マーカー)と重ねる事により、アストロサイト周辺の各部位における細胞外環境を表す色素分布(細胞外空間の分布)と拡散時定数(細胞外空間の物質拡散速度)のマップが1ミクロンを切る高い空間分解能をもって得られることを明らかにした。一方、アストロサイトに無蛍光性ケージド色素を導入し、任意の部位において2光子アンケージングし、放出された蛍光色素のその部位からの拡散を追跡・定量化することで、アストロサイトの細胞体やプロセス(A)に比べて足突起(B)における物質拡散が非常に遅く、細胞内で独立したコンパートメントを作っていることが明らかにしてきた(図)。
図4

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水を知る

生体内における水分子動態をナノスケールの時空間分解能で解析することは、現在の科学技術では困難を極める。そこで我々は、生体内水分子動態に対する理解を深めるため、近赤外水吸収スペクトルと多変量解析を用いたアクアフォトミクスという技術を導入し、生体における水分子のダイナミクスに対する理解を深めてきた(神戸大のツェンコバ教授により開発)。また、分子動力学計算や量子化学計算を導入することで、ナノスケールにおける水分子動態の理論構築も目指している。

(1)アクアフォトミクス
アクアフォトミクスは、水と光の相互作用、つまり水の吸収スペクトルパターンの違いを利用して、水溶液中の水分子挙動から生体システムを包括的に理解する全く新しい概念である。水分子は3つの基準振動をもつが、これらの振動は水分子の水素結合状態によって影響を受けることが知られている。従って、溶質分子との相互作用(溶質分子と水分子間の水素結合や溶質によって影響を受けた水分子間の水素結合)の結果生じる特徴的な水分子吸収バンド(Water Matrix Coordinates, WAMACS)を知ることが、アクアフォトミクス解析の第一歩となる。また、これまでの研究により、ある特定の生理的または病的状態には、それらを示す特有の水吸収バンドの組み合わせ(Water Absorbance Patterns,WAPS)があることがわかってきた。すなわち、WAPS は健康状態や疾病のバイオマーカーになりうる。アクアフォトミクスは、オミクスという接尾辞が付くように生体のもつあらゆる分子情報を網羅的 に計測して分析する研究領域である。そして、他のオミクス研究(ゲノミクス、プロテオミクス、メタボロミクスなど)で得られた 情報と統合することで、バイオシステムを理解することを目的としている。我々は、アクアフォトミクスを用いて、i)イオンの存在下における水構造のダイナミックな変化を詳細に解析、 ii)アクアポリンの発現が細胞内外の自由水を増加させることを発見、 iii)健常女性ボランティアにおいても雌パンダと同様、尿の近赤外スペクトルから排卵日を予測できる可能性を示してきた(神戸大ツェンコバらと共同研究)。

図5

(2)コンピューターシミュレーション
実際の水分子一つ一つの動態を観測することは、現状では極めて困難である。一方、スーパーコンピューターの台頭で、ナノスケールの時空間における水分子動態がシミュレーションできるようになった。そこで我々は、泰岡(慶応大理工学部)らと共同で、水溶液中のみならず、細胞膜近傍や更にはアクアポリンのポア内部における水分子動態を計算機科学で理解しようとしている。具体的には、以下3つのプロジェクトを推進している。
1. アクアポリンポア内の水分子動態:アクアポリンの原子モデルが提唱されたことで、水分子がいかにしてアクアポリンのポアを通過していくか、その様子を詳細に解析している。
2. 細胞膜近傍の特殊な水分子拡散:我々は、水分子とイオンと細胞膜リン脂質を用いた系で、それぞれの分子動態を解析した。その結果、細胞膜リン脂質と水分子の相互作用が、細胞膜近傍における特殊な拡散現象を創出している可能性を示唆することが出来た。
3. 電解質や生体低分子(糖質、アミノ酸など)と水分子の相互作用:水溶性小分子は、生体内において水分子に取り囲まれて存在している(水和殻、結合水)。そこで、生命現象に重要な糖質やアミノ酸と水分子の相互作用を詳細に解析していく。 図6

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水を操る

地球上の生物は海の中で誕生したと考えられている。その後、進化の過程で上陸を果たす。その時、いかにして水と塩分を体内に保持するかということが重要な課題であった。ヒトの場合、腎臓と皮膚が水分保持に重要な役割を担っている。そして、水チャネル、アクアポリンが発見されたことで、体内水分調節に関する理解が、分子レベルまで深まってきた。

アクアポリンは、1992年、米国ジョンズホプキンス大学医学部のアグレ教授によって水を選択的に通過させるチャネル蛋白として、赤血球膜から発見された。現在ヒトでは13種類のアクアポリンが確認されている。アクアポリンはほぼ全身にわたって分布している。それぞれのアクアポリンはユニークな組織分布を示しており、それぞれに特有の生理的意義が示唆されている。例えば、AQP0とレンズ透過性、AQP2と尿の濃縮、AQP5と唾液の分泌などである。一方、アクアポリンとヒト疾患との関連も徐々に明らかになりつつある。例えば、白内障、尿崩症、口腔内乾燥症、乾燥肌などがある。中でもその調節や、病気との関連が最もよく理解されているのは、腎臓にあるAQP2である。AQP2の遺伝子に異常があると、先天性の尿崩症になる。最近、多発性硬化症の亜系と考えられていた自己免疫疾患、視神経脊髄炎(NMO:neuromyelitis optica)における自己抗体の抗原としてAQP4が同定された。我々はこのAQP4を中心にアクアポリン研究を推進している。

(1)AQP構造機能相関、調節機構から創薬基盤研究へ:
アクアポリンの原子構造モデルが提唱されたことで、構造機能相関に対する理解が深まりつつある。最近、我々は亜鉛や銅、更には麻酔薬のプロポフォールが、AQP4の制御に関与していることを発見した。コンピューターシミュレーションも用いて、効率的な創薬も目指している。
図7

(2)AQP4と疾患(NMO):
AQP4を抗原とする自己免疫疾患、視神経脊髄炎(NMO)の病態生理を理解するため、疾患モデル動物の開発、診断キットの開発、および新規治療法の開発を目指した研究を行っている。

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研究支援

研究の醍醐味は、闇の中で仮説と検証という思考錯誤を繰り返している間にハッと気付きを得て、仮説の真意が明らかになった瞬間を味わうことではないでしょうか。そんな瞬間を味わうことができるような知的な空間を創出し、研究を活性化させる研究支援チーム作りを目指している。

本研究室では、研究支援チームのメンバーが各々の個性に合わせて専門研究者とFace to Faceで先端研究を推進し、研究成果や感動を分かち合っている。また、研究のみならず事務処理を円滑かつ効率的に進めるためにWebシステムの活用を模索している。
是非、本研究室を訪れてみて下さい。個性豊かな支援チームメンバーが、Openな知的創造空間を体現化し先端研究を支えていることを肌で感じて頂けると思います。

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